5/29 互いの信頼関係

よく行くスーパーに、あさりの姿を見かけなくなってから1年以上がたつ。最初はこんな長引くとは想像しなかった。熊本で発覚した産地偽装をきっかけに、なぜか他の国産あさりまでことごとく店頭から消えた。たまに見かけても粒が小さく高いので手が伸びない。

おかげで好物のボンゴレも酒蒸しも味噌汁も食卓に上らなくなった。正直に中国産と書いてあっても当方は構わず買うのだが、世間はそうではないらしい。表記を「熊本」から「中国」に改めたとたん、売り上げが激減し販売を諦めたという豊洲市場の記事を思い出した。見た目も味も同一のあさりのはずなのだが。

海はつながっている。産地の国名だけで売れなくなるというのは、つまるところ「あいつのとこは信用ならん」という相手への不信が原因だろう。こと口に入る物の問題になると人は理屈よりも感情が勝るように思う。先週、韓国から福島の処理水放出の安全性を確かめるため視察団が来日した。原子力放射線の専門家たちだ。

冷静に調査結果が検討されるなら、結果は科学に基づく妥当なものになるはずだ。あとは日本への信頼を、かの国の人々が抱いてくれるかどうか。安全は科学的知見で保証できても、安心は互いの信頼がなければ生まれない。だとすると、手ごろで身がぷっくりしたアサリが手に入るのは、当分先になりそうである。

5/28 裁判官の内輪の公正

東京帝大の民法の大家、末弘厳太郎教授は官吏を巡る随筆を多く残している。昭和初期の「役人学三則」では、役人たるもの(1)広く浅い理解(2)法規を盾にした形式的理屈(3)縄張り根性ーーがいると説いた。要は皮肉なのだが、1世紀近くを経てもなお洞察は色あせない。

裁判官にも手厳しい。いわく、一般の役人に比べ、裁判官の正義と公正には多くの国民が信頼を寄せている。ただそれは、裁判官と同質の人間にだけ通じる内輪の公正ではなかろうか。考えの違う人々に対しては、無意識のうちに大きな不公正を働いてはいないか。そんな疑問を投げかけている。(「司法官と社会思想」)

「記録庫の狭さが問題になっていた」「漫然と廃棄された」。神戸連続児童殺傷事件などの重大な少年事件の裁判記録が大量に廃棄された問題で、最高裁は調査報告書を公表し謝罪した。持て余しぎみな大量の「使用済み書類」として、無意識のうちに捨てていたのか。被害者遺族にとっては、真相に近づきうる光明なのに。

少年事件は原則非公開だ。だからといって、記録に価値がないはずがない。将来の検証に役立つ可能性は常にあり、公文書一般に通ずる保存の意義でもあろう。末弘教授は司直にはしゃくし定規に陥らない伸縮性が大切だと述べている。言い換えるならば他者への想像力か。取り戻せば、よりよい司法にもつながるはずだ。

5/27 権力者の館

「かがやかしき大夜宴開く」「朝夜の貴顕淑女三千名参列」。本誌の前身、中外商業新報はそのときの光景をこんなふうに伝えている。1928年12月12日、昭和天皇の即位を祝い、首相官邸で開かれた「大奉祝夜会」の模様だ。話題沸騰のイベントだったらしい。

パーティは、永田町に新築した首相官邸のお披露目も兼ねていた。記事には「ライト式のモダーン新官邸があかあかと闇空に浮き出し」などとある。フランク・ロンド・ライトが設計した旧帝国ホテルを思わせる威容に、賓客も息をのんだに違いない。やがて戦争、戦後。この歴史的建築はいまも首相公邸として命脈を保つ。

そんな空間を舞台に、こちらの「夜会」の出席者も興奮を抑えられなかったようだ。岸田首相の長男で秘書官の翔太郎氏が、昨年末に親戚らと公邸で忘年会を開き、写真撮影に興じていたと「文春オンライン」が報じた。公邸の階段に組閣時みたいにずらりと並んでみたり、寝そべってみたり、うーん、どうにも頂けない。

この建物の最初のあるじとなったのは、政友会の田中義一である。「おらが、おらが」が口癖の宰相は、官邸の玄関を見回していわく「まるでカフェーのようじゃのー」(御厨貴著「権力の館を歩く」)。それで人々は官邸を「カフェーおらが」と呼んだ。世間は今も昔も権力者に目を凝らしている。見くびってはならぬ。

5/26 こだわりの一杯

「G7広島サミットにおける食のおもてなし」という資料を外務省がインターネットで公開している。よりすぐりの材料を生かしたコース料理にワイン、日本酒、菓子。大手企業のボトル入り飲料はいつ誰が飲んだのか。旅の印象は飲食も大きく左右する。責任は重い。

コーヒーの欄をみると、「マウントコーヒー(広島市)」の「G7スペシャブレンド」とあった。店のサイトによれば参加国を含む7つの国の豆をブレンドしたという。野生動物と共存する環境での栽培。化学農薬を使わない。売り上げの一部を自然保護団体に寄付。そうした特徴を掲げている農園の豆を選んだそうだ。

厳選されたコーヒー豆を買い、自宅でこだわりの一杯を楽しむ人が増えている。近年のアルコール離れに加え、新型コロナウイルス禍による在宅勤務の普及も後押しした形だ。産地や銘柄、生産した農園の名を前面に打ち出した豆の販売店を街でよく見る。手ごろな価格でコーヒーを楽しめるチェーン系カフェも広がった。

そんな店やコーヒー愛好家の懐を原料の値上がりが襲う。きのう本紙が汎用コーヒー豆の国際価格急騰を伝えた。少し前の記事によれば高級豆も高値だ。産地の大雨や人手不足、ロシアのウクライナ侵攻による肥料価格の高騰が原因だという。食卓の向こうに変動する世界が広がる。食が発するメッセージに耳を傾けたい。

5/25 持続可能な株高

「これから株式相場が上がるらしいんだ」。ちょうど20年前の今ごろ、ある金融機関のトップにそう言われた。根拠をたずねると、「占師に聞いた」という。「え?」。クエスチョンマークが頭に浮かんだが、嬉しそうな表情を前に突っ込む気になれなかった。

長引く株価の低迷で、日本経済は体力をすり減らしていた。株安で財務を脅かされた経営者は、ぎりぎりの緊張状態のなかにあった。占いで会社の方針を決めるのならともかく、明るい見通しに励まされる心情は分からなくもなかった。そして予言は的中。日経平均は1万円台を回復し、その金融機関は体力を取り戻した。

足元で3万円台の株価が続いている。昨日は利益を確定するための売りで下げたが、大台を割り込みはしなかった。企業収益への期待が押し上げた。中国に代わる投資先として注目されている。著名な米投資家の言葉が効いた。背景は様々に言われるが、関係者の願いは一つだろう。つかの間の株高で終わってほしくない。

中国古代の占いの書で、儒教の経典でもある「易経」に「窮まれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」という言葉がある。行き着くところまで行けば新たな展望が開け、それが長く続く。では「失われた30年」と呼ばれるときを経て、日本経済は持続可能な何かをつかむことができただろうか。いまそれが試されている。

5/24 外国人との共生

先ごろ甲府市山梨県立美術館がユニークなイベントを開いた。県に所属する国際交流員とコレクション展をめぐる日本語のギャラリーツアーだ。興味を引かれて、「言葉の響きが好き」で日本語を学んだというブラジル出身のヂエゴ・ラモスさんの回に参加してみた。

「洋風の朝食と日本的な菊の花が同じテーブルに並んでいるのがおもしろい」。終戦後に地元の画家が描いた食卓の情景についてそう感想を話す。画面から連想した母国の詩をポルトガル語で披露すると、参加者のため息がもれた。「いつもの絵がちがって見える」。美術館で解説ボランティアを務める女性が驚いていた。

昨年の県内の在留外国人は中国4000人、ベトナムとブラジルの3000人を筆頭に1万8000人超。労働者数は10年前の2.5倍に急増した。一方で「職場や地域で外国人が持ち前の能力を活(い)かし、日本人も刺激を受けつつ共生していく社会にはまだ道半ば」。今年改訂した「やまなし外国人活躍ビジョン」が記す。

全国各地でいまや多くの外国人が暮らし、働くようになった。隣人として受け入れる工夫は足りているだろうか。たとえば文化施設の多くも、まだ日本人だけを利用者と見ている気がする。「日本語が母語でない人も気軽にこられるプログラムがない」。ツアーを企画した学芸員の下東佳那さんの言葉にはっとさせられる。

5/23 被爆からの再生

東武東上線森林公園駅(埼玉県滑川町)の駅舎には、南から飛来したツバメの巣が数多くある。子育ての真っ最中だ。周囲には緑豊かな丘陵が広がる。エサが豊富なのだろう。なんとも平和な駅からタクシーで10分ほど。国内外の人々が集う小さなギャラリーがある。

「原爆の図」の連作屏風絵で知られる丸木位里、俊夫妻の作品を展示する「丸木美術館」である。先週末に訪ねると、家族連れなどが静かに鑑賞していた。広島県出身の位里は、原爆投下の数日後に東京から汽車で現地入りした。複数の親族が犠牲になった。放射線を浴びた一人ひとりの身体を、克明に描く筆致が特徴だ。

被爆者の森重昭さん(86)を取材したことがある。2016年5月、現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏と平和記念公園で抱擁を交わした人だ。黒い雨が注いだあの日。腹部をおさえる女性に声をかけられた。「近くに病院はありますか?」。内臓が見えていた。あの光景が忘れられない、と語ってくれた。

森さんは歴史家でもある。被爆死した米兵捕虜に光を当てた。丸木夫妻に「虹」という作品がある。倒れた米兵を描く。悲劇に国籍の別はないのだ。絵の端に青い虹が架かる。井伏鱒二は「黒い雨」で虹を再生の隠喩にした。同じ祈りを込めたのか。悲しい絵だが美しい。核兵器による威嚇が切実な今、私たちの胸に響く。