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「北海道の自然林では、えぞ松は倒木のうえに育つ」。幸田文さんのエッセー「えぞ松の更新」にそんな一節がある。多くの種が発芽しても育たない寒冷の地。しかし倒木に落ちることのできた種は、古木がたくわえた水分や栄養も得て何十年、何百年を生きるという。

興味を持って北海道に渡った幸田さんはそこで「生々しい輪廻の形」を目撃する。ぐしょぐしょにぬれた崩れかけの老木を踏みしだき、若木は生のエネルギーを発散させる。古木のコケに指先をあて、樹皮を下にかき分けて、幸田さんは湿り気や温度を手で探りながら世代をつなぐ木々の情感の交感を受けとめていく。

あらゆる理想主義が打ち砕かれた今こそ、人間として生きる意味と価値を絶対的に信じなければいけない。ウィーンの精神科医V・E・フランクル氏が故郷で講演したのはナチスの収容所から生還した翌年のことだった。ナチス時代の誤った過去に学び「ほんとうの理想像」を取り戻そうと、若い世代に呼びかけたのだ。

どんな状況でも人生には意味がある。ユダヤ人収容所で家族を亡くしたフランクル氏はナチスを告発する代わりに自らの体験を次の世代が生きる糧として提供した。森の養分のように心にしみる言葉と比べてどうだろう。ナチスの歴史を都合よく利用しているようにしか見えない現代のリーダーの声はただ空々しく響く。