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明治生まれの沖縄出身の詩人、山之口貘は、文筆で身を立てるため、作品の束を抱えて上京した。二度と郷里に戻らぬ覚悟で。職業を転々とし、公園や駅のベンチ、友人宅で寝泊まりする放浪生活がしばらく続いた。食うや食わずの厳しい都会生活だった。

ある夏の日、古里の母から反物が届いた。その当時を回顧した「芭蕉布」と題した詩がある。「芭蕉布は母の手織りで/いざりばたの母の姿を思い出したり/暑いときには芭蕉布に限るという/母の言葉を思い出したりして/沖縄のにおいをなつかしんだものだ」。でも袖を通す機会はなかった。何度も質に入れたのだ。

詩人の母のように名もなき庶民の手仕事に究極の美を見出したのは民芸運動の主唱者、柳宗悦だ。著書「芭蕉布物語」で、「今時これほど美しい布はめったにないのです」と絶賛した。本書を熟読した沖縄生まれの女性がいた。戦時中に岡山県倉敷市の軍需工場で働き、戦後しばらく当地にとどまった平良敏子さんである。

伝統を再興した人間国宝の訃報が届いた。平良さんが働いた軍需工場の経営者はクラボウ創業者一族の大原総一郎。民芸運動の支援者だった。本紙「私の履歴書」で、「沖縄へ帰ったら、沖縄の織物を守り育ててほしい」と彼に励まされたことを明かした。薫陶を受けた恩人に、遠い日の約束を果たしたことを報告するはずだ。