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詩人の鈴木志郎康さんが、「放り出された『老い』」というエッセーの中で、さまざまな高齢者に自らの人生を語ってもらった体験を振り返っている。経営者。農家の主婦。「ふつうの老人たちなのに、どの人の場合も私は感動しないではいられなかった」と記す。

同じような感想を高齢者に接する医療関係やボランティアの方々からもしばしば耳にする。「人間というのは、最後には「ことばを語る」というところに行き着く存在なのか」と詩人は感じたそうだ。老人は濃密な情報の集積であり、聞く側が彼らの言葉を価値あるものとして読み解けるかどうかが問われているのだと説く。

日本は長寿社会になった。それ自体は喜ばしいものの、高齢者一人ひとりに居場所があるかと言われると疑問が残る。幼稚園から会社の定年まで集団に属してきた人間が、いきなり個人に戻れるか。大家族に囲まれて過ごす姿も昔のものだ。人とのつながりが少ないと、健康にもマイナスになるとの研究結果もあると聞く。

詩人で映像作家でもあった鈴木さんの訃報が届いた。享年87。還暦を過ぎてからの作品の一つ「住んでる人しか知らない道」にこんな一説がある。「書かれた言葉が読まれないのは辛い/言葉に、求めに応じる力がないからか/言葉に、求めていく心がないからか」。きょうは敬老の日。先達のゆたかな言葉に耳を傾けたい。