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節分はかつて四季それぞれの変わり目を意味した。立春立夏立秋立冬の前日のことだったが、やがて冬と春の境を指すようになる。晩冬の季語である。「節分や海の町には海の鬼」(矢島渚男)。漁師町にとって、海の鬼とは何か。海難事故を招く波浪だろうか。

季節の変わり目には邪鬼が出没する。そう信じられていたようだ。豆をまいたり、イワシの頭やヒイラギの枝を戸口に挿したりして厄災をはらう習俗が、今もこの国に受け継がれる。この3年、私たちを苦しめた鬼は新型コロナウイルスだった。思えば長く居座ったものだ。まだ不安は残るが、ようやく出口が見え始めた。

道を踏み外し、人が鬼になることもある。松本清張の短編「鬼畜」は、婚外子の少年を海辺の町であやめようとした父親を描く。一命をとりとめた子は、警察の聴取に口をつぐむ。本来は小心で善良な父の情愛を信じているのだろうか。小説は、その後を語らない。が、父子の絆の回復を示唆する映画やドラマが作られた。

きのう、気になる統計が発表された。昨年、警察が認知した刑法犯が20年ぶりに増加に転じたというのだ。強盗や放火などの重要犯罪は8%強増えた。相次ぐ広域強盗事件の一部も含まれる。こちらは救いがない鬼畜の所業だ。コロナの災いが徐々に落ち着く半面、人間の悪行が社会に疑心暗鬼を広げる今年の節分である。