5/28 裁判官の内輪の公正

東京帝大の民法の大家、末弘厳太郎教授は官吏を巡る随筆を多く残している。昭和初期の「役人学三則」では、役人たるもの(1)広く浅い理解(2)法規を盾にした形式的理屈(3)縄張り根性ーーがいると説いた。要は皮肉なのだが、1世紀近くを経てもなお洞察は色あせない。

裁判官にも手厳しい。いわく、一般の役人に比べ、裁判官の正義と公正には多くの国民が信頼を寄せている。ただそれは、裁判官と同質の人間にだけ通じる内輪の公正ではなかろうか。考えの違う人々に対しては、無意識のうちに大きな不公正を働いてはいないか。そんな疑問を投げかけている。(「司法官と社会思想」)

「記録庫の狭さが問題になっていた」「漫然と廃棄された」。神戸連続児童殺傷事件などの重大な少年事件の裁判記録が大量に廃棄された問題で、最高裁は調査報告書を公表し謝罪した。持て余しぎみな大量の「使用済み書類」として、無意識のうちに捨てていたのか。被害者遺族にとっては、真相に近づきうる光明なのに。

少年事件は原則非公開だ。だからといって、記録に価値がないはずがない。将来の検証に役立つ可能性は常にあり、公文書一般に通ずる保存の意義でもあろう。末弘教授は司直にはしゃくし定規に陥らない伸縮性が大切だと述べている。言い換えるならば他者への想像力か。取り戻せば、よりよい司法にもつながるはずだ。