6/4 この国を沈没させぬために

「子どもは2人まで」。1974年7月4日、東京で開かれていた日本人口会議は中国の産児制限を思わせるような大会宣言を採択した。増え続ける人口を支えるための住宅や工場、公共施設、農地などを「このせまい国土のどこにどう割り込ませたらよいのか」。

民間の主催だったが当時の厚生省がバックアップし、会議には著名人が顔をそろえた。半世紀前、ニッポンは人口増の不安におびえていたのである。ところが、ちょうどこの時期に第2次ベビーブームは天井を打った。75年の合計特殊出生率は2.0を下回り、出生数も減り始める。なんと間の悪い「宣言」だったろう。

政府が少子化対策に乗り出したのは90年代に入ってからである。方針転換にまごつき、施策は的を外し、危機はじわじわ深まった。2022年の合計特殊出生率は過去最低に並ぶ1.26。日本人の出生数は初めて80万人を割った。これに立ち向かうという「こども未来戦略方針」の素案なるものを見ても、相変わらず迫力に欠ける。

かの70年代半ばころは、パニック映画がヒットした時代だ。人々は「日本沈没」や「ノストラダムスの大予言」の描く未来を恐れたが、その影でほんとうの有事が芽生えていたのだから皮肉な話だ。誰もが将来を見通せなかった失敗を、いま一度、直視しなければなるまい。この国を沈没させぬための務めである。