6/8 日本的雇用のルーツ

江戸時代には「長松」という名の丁稚がたくさんいたという。商家に住み込みで働く少年の代名詞になるくらい多かったそうだ。もっとも、そんな長松さんたちも手代になれば長吉、番頭に昇進すれば長兵衛などと名を改めた。じっと我慢の出世すごろくである。

奉公に入ってしばらくは、まかない付きとはいえほとんど無給である。雑用に追われる日々だ。しかし昇進するにつれて給金もよくなり、遊ぶ余裕も出てくる。日本的な年功序列と終身雇用はこのへんにルーツがあるようだ。明治以降もそれは受け継がれ、戦後、さらに強固になった。高度成長を支えたといっていい。

企業も従業員も安心できた仕組みだが、弊害が目立つようになった。岸田政権の「新しい資本主義」実行計画改革案が労働市場改革に重点を置いたのも、変わらぬ働き方への危機感を映していよう。ただ、中身は失業給付制度の見直しなど小粒な施策が並ぶ。歴史が長く、どこから手をつけてよいか困惑するテーマなのだ。

サラリーマンの大部分は、黙々と「年功に向かって歩く」。経営学者の青木茂は、1963年の著書「月給」でこう指摘し、日本的システムから職務給への転換を促した。それでも続いてきた雇用慣行に、ようやく変革は訪れるのか。我慢を重ね、守りに入った現代の長兵衛さんあたりの胸中も複雑である。