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スポーツの原点である汚れない情熱とパフォーマンスが見る者を揺さぶる。その感動を共にし、国境や宗教を越え、平和で人権が守られる世界を築く。近代五輪はそんな理想から始まった。だが、大会の運営にはカネがかかる。1970年代には公費に頼り切り、時に大赤字になった。そこに「商業化」という魔法のつえをふるったのが、受託収賄容疑で逮捕された高橋治之容疑者だったという。五輪では各競技とも筋書きのないドラマを繰り広げ万人の関心を引く。ゆえに企業にとって格好の宣伝ツールとなり、そこに利権も生じた。容疑が事実なら、選手がいちずな努力を発揮する舞台を、不正の温床にしていたことになろう。フェアな精神のかけた商業五輪の晩鐘が聞こえてくるようだ。(312文字)