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広島市内には、原爆の犠牲者を追悼する慰霊碑が200以上ある。同市のホームページに、その所在地や建立の時期、碑に刻まれた鎮魂の詩句などの一覧表が載っている。市民団体や郷土史家らの協力を得て取りまとめた。この国の悲しい歴史を知る貴重な資料である。

鉄道、郵便局、病院。殉職した人びとの職場単位の慰霊碑がいくつもある。とりわけ胸に迫るのは、学校関係の碑だ。多くの生徒たちが勤労奉仕の作業中に被爆した。宇吹暁さんの著書「ヒロシマの戦後史」によると、動員学徒の死者数は約7200人。全国の動員学徒の死者総数のおよそ3分の2を占めるという。

「あの日、私は動員を休み生き延びました。その負い目から、長らく慰霊碑に献花できませんでした」。爆心地に近い高等女学校の1年生だった女性に取材したことがある。市外の親戚宅に用事があり偶然、難を逃れたのだ。空襲に備え、建物の延焼を防ぐ作業に従事していた12〜13歳の同期全員が、犠牲になった。

ウクライナのこどもたちの命と学びが、脅かされている。避難先でも勉強をと、スーツケースに教科書を詰め込んで日本に逃れた親子もいる。父を祖国に残し、母と来日した小学生が東京の公立学校に通い始めた。遠い異郷でどんなに心細いか。少しでも笑顔を取り戻せますように。そう祈りたくなるこどもの祝日である。