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独裁者の最期は、こうなるのか。約30年、旧ソ連の指導者だったスターリンの新しい伝記の描写に、不謹慎ながら一幕の喜劇のようだと感じた。1953年3月1日。側近との宴会が終わり早朝に居住区へ戻るが、夕方になっても動きがない。護衛官は不安を募らせた。

しかし、様子を見に行き叱責され処分を受けるのも怖い。結局、郵便を届ける名目で開錠したのが夜9時。あるじは食堂で倒れ、いびきをかき、失禁もしているようだ。早速、フルシチョフら指導部が召集される。が、彼らも何かを決め責任を負うのを嫌がり「眠っている」「空騒ぎ」と結論づけ帰宅してしまったという。

医師が呼ばれたのは2日朝。病は重く、5日夜に死亡した。強い疑念から長年、恐怖政治を敷いたトップ。腹心からさえ正常な判断力や哀れみの心が奪われたとみえる。自主性の欠けた行動様式がはびこり活力を失ったソ連は、根治せず崩壊した。30年前のことだ。だが、かのスタイルの焼き直しやら亜種は今も見られる。

巡航ミサイルを発射した北朝鮮で、思想や企業の統制を図る中国で、そして反体制派を封じ選挙に臨むロシアで。スターリンは死の間際、目を開け左腕で上方を指したという。娘の手記にある。「われわれ全員に呪いをもたらしているかのようだった」。世界が呪縛から自由になる行程は今、起承転結のどのあたりだろう。