9/16

俳優の小沢昭一さんは典型的な「軍国少年」だった。金の指輪をお国に供出するよう母親をさとし、出征兵士の見送りも欠かさない。あこがれの海軍兵学校予科に合格、天にものぼらんばかりに喜んだ。ところが初日からなんともいえない陰鬱な気分になったという。

文楽だ金馬だ柳好だ」と寄席通い、落語や浪曲に漬かって育った。いくら「七生報国」をたたき込まれても、庶民の笑いや涙、人情のあたたかさの片りんもない軍律至上の暮らしは性に合わなかったのだろう。戦後、吹きさらしの寄席の客席に座ったとき平和で自由に生きられるありがたさがふつふつと湧いたという。

「娯楽」を敵視するイスラム主義組織タリバンアフガニスタンで権力の座につき1ヶ月。戦慄をおぼえるニュースが後を絶たない。幹部が音楽の禁止を表明し、コメディアンや民謡歌手が殺害された。国立の音楽学校も閉校に。音楽にとどまらず、広く西洋の芸術や文化を学び親しんできた人々は恐怖におびえている。

大衆をなぐさめて励まし、ときに怒涛のような支持を引き寄せる。芸能や文化の、武力でも抑えられないその力を兵士は恐れるのかもしれない。小沢さんの通う寄席が敗戦後、焼け跡のよしず囲いで再開できたのは人々がいたからこそだ。文化を楽しむ人、担い手さえも根絶やしにする蛮行をだまって見過ごすのはつらい。