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「ジリ貧を避けようとして、ドカ貧にならないよう、十分ご注意願いたい」。80年前の今日、宮中での会議で、こんな言葉が飛び出した。当時の首相の東條英機が、日米開戦をめぐり首相経験者ら8人から意見を聞いた場である。発言の主は海軍出身の米内光政だ。

当時の日本は国際的な包囲網で石油などの重要物資が輸入できずにいた。ジリジリ国力が衰えるのを待つより、戦争に訴え打開を図ろうとの主戦論が軍部を中心に唱えられ、次第に大勢を占めるに至る。米内はそんな動きを俗語でけん制してみせたのだ。だが、流れは変えられず、12月1日の御前会議で日米開戦は裁可された。

2日には洋上をハワイへ向かっていた部隊に攻撃を命令する暗号の電文が打たれ、日本は成算のない戦いに突入する。「ジリ貧ドカ貧」の逸話からは、何よりも無謀な争いはしてはならないという重い教訓を引き出さねばなるまい。加えて、目先の課題を粘り強く解決する努力を怠るな、との平時も通ずる戒めが得られよう。

いちかばちかで、大向こう受けする挙に出て大きな災いを招いてしまう。さまざまな政策や経営戦略でもありがちだ。昔の話、と放っておけないゆえんである。米内は終戦直後の内閣で大臣として海軍省の最後の日を見届けている。冒頭の発言から4年後の11月30日だった。ドカ貧を眼前に、どんな思いが去来したか。