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日本のインバウンド政策は今に始まった話ではない。1930年代、鉄道省の国際観光局は競技場の整備こそ欠かせないと力説している。テニスコート、ゴルフ場、スケートリンク、これら明朗なるスポーツ施設なしに近代観光事業は万全と言い難いのであります。

豊かな自然とモダンな施設をPRしようと国は膨大な写真を撮影。各国の旅行団体や大使館を通じて世界に配布したという。倉庫に眠っていた写真やガラス乾板を寄贈された東京・一番町のJCIIフォトサロンがこのほど80枚ほどをプリントして公開している。展示を見て回るうちに、そのなかの1枚に目が止まった。

輝く白銀の舞台は現在の札幌・大倉山ジャンプ競技場と推測される。大倉喜七郎男爵が私財を投じ、32年に開場。撮影の35年の5年後にアジア初の冬季五輪会場となるはずだった。しかし、日本は40年夏の東京、冬の札幌の大会開催を辞退。72年冬季五輪を開いた大倉山競技場は今再び招致を目指す2030年大会の競技場でもある。

美しいPR写真は真実をそのまま写しはしなかった。労働者が上半身裸だ、鉄道やビルは外国に負けるから撮るな。同じころ対外宣伝に協力した写真家の木村伊兵衛は国から何度もダメ出しされたと後に語った。波乱ぶくみの五輪開催への賛同を得ようと札幌市は大幅な経費削減を発表。気になるのは青写真の裏側である。