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80年前の12月、喜劇俳優古川ロッパは家族や友人とともに熱海に遊んだ。日米開戦の直後である。東海道線の大船で駅弁を買い、旅館では温泉とグルメ三昧。「六時過ぎ洋食堂で、ポタアジュ他ビフテキ等」と日記にある。灯火管制もなく「熱海銀座はあかあかと明るい」。

東京もまだ平穏だったようだ。ロッパはイタリア料理を楽しんだりスコッチを痛飲したり、余裕のある毎日を送っている。年が明ければ有楽町の劇場は大入り満員で、幕あいにはロッパ自ら、マニラ占領のニュースを読んだ。喜劇王皇軍の快進撃に酔っていたのだ。「よくぞ日本に生まれた。強い、実に日本は強い」

戦争と日常が、いわば地続きであることを教えてくれる記録だ。それまでの豊かさが残るなかで、次々に勝報がもたらされたのだから気分が良かっただろう。少しは冷静なはずの知識人もやはり高揚し、しきりに「近代の超克」を唱えた。欧米列強がもたらした近代化を乗り越え、日本独自の道を開こうというスローガンである。

「奴隷の平和よりも王者の戦争を!」。評論家の亀井勝一郎の、こんな言葉が当時の空気を物語っていようか。しかし、やがて戦況は悪化し、大本営の発表とは裏腹にロッパの日記もどんどん嘆きが多くなる。1944年の暮れには、ごちそうが並ぶ夢を夜中に何度も見て「かなしい」と書いた。熱海旅行から3年後である。