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小林秀雄に「人形」という短い随筆がある。大阪行きの急行の食堂車で、上品な老夫婦と同席した。妻は大きな人形を抱いている。スープをまず人形の口元に運ぶ。その後、自分の口に入れたのだ。高明な評論家は察した。人形は戦争で失った我が子の分身なのだろう。

夫は妻の所作を穏やかに見守る。こんな振る舞いが、もう長く続いているのだ。遅れて着席した若い女性客も、老夫婦の心情を理解したようだ。奇異なまなざし、余計な言葉は一切なかった。人形を囲む夕食は、静かに終わった。人は誰しも悲しみを抱いて生きている。それに向き合う方法や態度は、実にさまざまである。

先日、本紙にこんな記事が載った。重い病気の子どもと、その家族が心穏やかに過ごす施設「横浜子どもホスピス」が横浜市金沢区に開設された。運営するNPO法人代表は田川尚人さん。6歳だった娘を脳腫瘍で失った。余命少ない病児が楽しく過ごせ、家族の気持ちも安らぐ場所を作りたい。そんな願いを実現した。

田川さんの行動に頭が下がる。横浜の施設を訪ねてみた。釣り人がのんびり糸を垂れる美しい入り江に面しており、小さな庭には遊具がある。悲しみを回路に人々がつながる。それが社会であり、人間の歴史なのだ。冒頭の小林の一編の趣旨だろうか。子どもの残された日々を慈しむ。こんな空間が各地に広がればいい。