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作家の木山捷平は、毎年元日に受け取る年賀状の枚数を律儀に書きとめていた。昭和初期から36年間に及ぶ「酔いざめ日記」にその記述がある。駆け出しのころは「賀状十枚来る」「六枚来る」などとあり、戦時下は「一枚も来らず」が続く。枚数が増えるのは戦後だ。

1950年は「午後賀状来る、十二通」だったのが55年は54通、仕事が増えはじめた60年になると83通、さらに忙しくなった65年は214通にのぼっている。賞や名声にはあまり縁のなかった人だが、だんだんと分厚くなる賀状の束にささやかな充実感を覚えたに違いない。それは多くの日本人が持った昭和の記憶でもある。

今年発行されたお年玉付き年賀はがきは18億枚強。ピークだった2003年の4割弱に減ったという。メールやSNSの普及で若者はそっぽを向き、高齢者も骨の折れる習慣をやめていく、となれば一段と危うい年賀状文化である。郵便局は先週までの投函を呼びかけていたが、まだ手付かずの方も少なくあるまい。

社会のデジタル化は、新年の節目の感覚そのものを薄れさせる気もする。しかしそこに希望が宿っているなら、人はやはり、言葉を発したくなるのではないか。思えば年賀状が増え続けた時代は、所得も大きく伸びていった歳月である。かの作家に届いた賀状は死去する68年に最多の324通。高度成長の真っ盛りだった。