1/1 21世紀日本の危機

元日付の新聞に寄稿を求められ、夏目漱石は困惑したらしい。それで随筆に、こんな皮肉をしたためた。「苟くも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極っている。いきなり楽屋オチだがユーモアが効き、さすが漱石だ。

さて当方も、大みそかの朝から「元日らしい顔」の小文をつづろうと頭をひねっている。なのに思い浮かぶ新年の情景が、いまひとつパッとしない。希望に満ちた2022年が降りてこないのだ。たぶんコロナ禍の行方が見通せぬだけでなく、この災厄があぶり出した21世紀日本の危機がずいぶん深そうだからだろう。

デジタル化の遅れ、多様性の欠如、旧態依然の教育システム、などと並べれば自虐的に過ぎようか。しかし以前からのこういう指摘を閑却し、成功体験の夢から覚めきらずにこの国は今日に至る。シャワールームや100円ショップを外国人に「日本スゴい」と褒められているうちに、世界の方がすごくなっていた。

現実を見据えたいものである。そういえば、漱石は「三四郎」で広田先生に語らせている。「とらわれちゃダメだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」。日露戦争後の「一等国」気分への批判は、いまも古びていない。元日らしからぬ言葉を引き、あえて元日のコラムとしよう。