1/25 こども「家庭」庁

「家庭」という言葉は江戸時代から使われていたらしい。飛田良文さんの「明治生まれの日本語」によれば、天明年間(18世紀末)には「家庭指南」なる書があったという。もっとも、現在とはニュアンスが違い「厳父が子女に示す教訓の意味を濃厚に含んでいる」。

そういえば、古くは家庭教育を「庭訓」と言った。いかめしい雰囲気の「家庭」が、往時の武家社会では普通だったに違いない。それが明治の世になり、英語のhomeの訳語として広まってゆく。こちらは元来、ゆっくりくつろげる場所を指すから苦しい訳である。イメージがずれたまま、1世紀以上がたつわけだ。

「こども家庭庁」創設のための法案が、今国会に提出される。かねて「子ども庁」と呼ばれてきたのに、昨年末、与党との調整で「家庭」の2文字が入った。子ども政策に家庭の目配りは必須だが、親ばかりに責任を求める発想につながらぬか気になるところだ。虐待に苦しむ子にとっては、不幸にも家庭に救いはない。

にわかに「家庭」を掲げたのは、保守派の要望にも応えたからだとされる。もしかすると、そうした意識には「庭訓」の昔への郷愁でも潜んでいるのだろうか。ちなみに「明治生まれの日本語」によると、随筆家の小島烏水は普及してきた「家庭」という語を「せせこましい」などと退け、あえて「ホーム」と記している。