3/16 チャイカの翼

「かもめ」を意味するロシア語、チャイカウクライナの伝統的な名字でもあるらしい。19世紀後半に交響曲バレエ音楽などの傑作を世に送り出したチャイコフスキーの祖父も、この地の出身でチャイカから改名した。自治的な戦士集団コサックの一員だったそうだ。

元外交官、黒川祐次さんの著書によると、作曲家は妹が嫁いだキエフの南、カーミアンカの地を気に入り、30代の頃から毎年訪れ、曲想を練ったとされる。あの荘重な「ピアノ協奏曲第1番」の主題は街にいた盲目の弦楽器奏者の歌を譜面に起こしたものという。「白鳥の湖」はおいやめいのための小編が原型と伝わる。

世界中を感動させてきた名曲の「ゆりかご」といえる場所なのだが、砲声や戦車の地響きが国のあちこちから聞こえ始め、きのうで20日が過ぎた。侵攻したロシア軍は民間の施設を狙い、周辺国からの補給路も断つ作戦に出ているという。停戦への模索の一方で、条件を有利にしようという動きもあって、緊張が高まる。

「わたしは弱い人間だからこそ、人の苦しみや悲しみを真剣に受け止め、芸術に昇華できる」。チャイコフスキーの晩年の言葉だ。クレムリンの主は、いつになったら隣国の苦しみと悲しみに気づいてくれるのか。ドニエプル川にチャイカが翼を広げ、大地に甘く美しいメロディーが流れる日が一刻も早く来てほしい。