3/17 戦争避難民の受け入れ

2002年7月、天皇、皇后両陛下(いまの上皇ご夫妻)はポーランドを公式訪問された。在ワルシャワ日本大使館で開いた親善パーティに、当時91歳の男性が招かれた。命あるうちに美智子さまにお目にかかり、お礼を申し上げたい。そんな夢がかなったのだ。

彼の名はバツワフ・ダニレビッチさん。帝政ロシアの支配に抵抗し、シベリアに流刑になったポーランド人の子孫だ。ロシア革命後の動乱で生活は困窮する。1922年8月、11歳のときだった。日本赤十字社が人道的見地からシベリアのポーランド人孤児を保護し、日本に移送したのだ。取材に応じ、遠い記憶を語った。

大阪にしばらく滞在し、神戸港からロンドン経由で祖国の土を踏む。「もしもし、かめよ、かめさんよ」。日本で覚えた童謡を歌ってくれた。「父はシベリアで亡くなったが、私は日本に助けられ、困難な時代を生き延びることができました」。日赤の名誉総裁だった美智子さまの手を握りしめ、万感の思いを伝えた。

ポーランドは戦乱のウクライナから逃れた人びとを救護する。が、受け入れは限界に達しつつある。日本政府は、避難民に就労可能な在留資格を与える方針を表明。自治体も住宅の確保に動き出した。ダニレビッチさんは、訪日時に食料や玩具を差し入れてくれた市民の善意を生涯、胸に刻んだ。そんな交流を再現したい。