3/18 首都圏停電

「日常」の脆さを痛感したのは、2018年9月、胆振東部地震に遭遇したときである。あの未明、出張先の函館市のホテルは停電で闇に包まれた。エレベーターが止まり、断水でトイレが流せず、コンビニからは食料や乾電池が消えた。電子マネーも使えない。

それが身に染みて、3日間はサバイバルできる防災グッズを自宅に置くようになった。しかし、のど元を過ぎれば熱さを忘れる。最近は中身の入れ替えも怠りがちだった。福島県沖を震源とする、おととい深夜の地震はそういう私たちへの手荒い警告だろう。ああ、ついにこのバッグの出番か、という思いが頭をよぎった。

東京都内でも不気味な揺れを感じさせたマグニチュード(M)7.4の規模だから、福島や宮城の人々の恐怖はいかばかりだったか。東日本大震災から11年。繰り返しこの地域を襲う地震の無慈悲さを呪いたくなる。乗客にけがはなかったとはいえ東北新幹線が脱線し、上空からの映像を見れば蛇がのたうつような光景だ。

じつは脱線の6時間ほど前に、取材先から帰京するために新幹線のこの区間を通ったばかりだった。やはり「日常」は脆く、すぐ隣に「非常」が待ち構えているのだと思い知る。今回の首都圏の停電は、胆振東部地震のようなブラックアウトを回避するための措置だったという。防災バッグにも、教訓をもっと詰め込むとしよう。