3/19 コロナ下の学園生活

東京駅前の広場でつい先日、はしゃぐ女性の一団を見た。フォーマルなスーツに黒ガウンを羽織り、頭に角帽。卒業を迎えた大学生たちらしい。レトロな駅舎を背に帽子を空に投げ、肩を寄せピースサイン。ポーズを変えるたびに、飽きずにスマホのシャッターを押す。

元気のよさに見ほれつつ違和感を覚え、やがて理由に気づく。東京はまだまん延防止等重点措置の最中なのに、全員マスクをしていないのだ。しかしとがめる気は起きない。周囲もほほ笑んで見守る。4月にはみなそれぞれの道を歩く。これが最後の集合写真かもしれない。せめて満面の笑みを手元に残しておきたいのだろう。

今春の大学や高校の卒業生は、それぞれのハイライトとなるべき2年間をコロナ下で過ごした。「友人の顔もマスク姿しか記憶にない」と語る若者もいる。部活、合宿、修学旅行、学園祭、留学。相次ぐ中止に思い描いた学園生活とは遠かった人が大半だろう。自由だった上の世代と比べ、悔しい思いを抱く人もいるかもしれない。

だが実はいつの若者も何かやり残した気分で卒業し、それを仕事などの原動力にしたのではないか。学びも遊びもこれから十分楽しめる。そうは言っても振り返るとむなしいという人にモンテーニュの言葉を贈る。「『今日は何もしなかった。とんでもない言いぐさだ。あなたは生きてきたではないか」』(宮下志郎訳)