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作家の田辺聖子さんが女学生時代に書いていた日記がある。3年ほど前に亡くなったあと、遺族が自宅からたまたま見つけたノートのタイトルは「十八歳の日の記録」。数え年で18になった1945年、終戦を控えた4月から書き起こされた、多感な少女の思索の跡だ。

よみがえった日記をひもとけば、当時のハイティーンの心情が胸に迫る。戦勝を祈り、玉音放送に接して「悲憤慷慨その極を知らず」。しかし満年齢で18を迎えた46年4月には「たしかに私には人に優れた才能があるか、どうか。それが私の苦悩の焦点に立って、終始気味悪くぴかぴか光を発し」と記す。

時代はずいぶん異なるが、いまも18歳といえばそういう感受性に満ちた年ごろであるに違いない。世の中の動きを背伸びして眺め、自分とは何者かを問い、決意と傷心を行き来する日々。これまで大人の一歩手前とされたこの年齢が、法律の改正できょうから成人となる。世界の大勢に合わせた変革である。

すでに選挙権は18歳に引き下げられているから、さほど唐突な感じはしないだろう。これからはそれに加え、さまざまな制約が解かれて本人の意思が尊重される。田辺さんは日記に、小説家になる夢をつづっていた。「私はもう、この道しか、進むべき道はない。そう、信じている」。夢を育む「18歳成人」になればいい。