3/31 論理国語と文学国語

「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ」とは村上春樹さんの言葉だ。ドキッとする。ドストエフスキーの名作だが相当分厚い。粗筋だけはなんとなく知っている、という方も多いのではないか。

教科書で文芸を学んでも、就職や出世には直接、関係ない。むしろ、裁判所の判決文や、契約書、マンションの管理規約を理解する能力こそ、社会人として必要だ。よく耳にする指摘である。経済協力開発機構OECD)の国際学習到達度調査では、我が国の子どもは読解力に課題があることが分かっている。

そんななかでの高校の国語教育改革だ。高校2年以降、論理的、実用的な文章を学ぶ「論理国語」と、小説などを学ぶ「文学国語」に区別し、教科書を分けたのだ。受験対策として論理を重視する学校が増え、生き方を考える文学がないがしろにされるのでは。一体的に学習すべきだ、と説く識者も多い。

でも、文部科学省によると、各学校の判断で割り当てられた授業時間を調整し、「論理」と「文学」の両方を選択する運用も可能という。なんだ、そうだったのか。あれも、これも、が学びの理想かもしれない。残りの人生を豊かにするために、かの文豪の作品群を読破してみようか。まことに遅ればせながら、ではあるが。