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北朝鮮が輝いて見えた時代が、かつてあった。それを象徴するのは浦山桐郎監督の映画「キューポラのある街」だろう。貧しくも健気な少女ジュンの成長を描く物語は、在日コリアンの少年サンキチの帰国をめぐる物語でもある。ちょうど60年前の4月に封切られた。

駅頭での別れのシーンが印象的だ。にぎやかな歓送の歌声のなかで、ジュンの弟がサンキチにビー玉を差し出す。「北鮮は新国家建設中だから、ビー玉なんてないだろう」。微笑ましい光景だが、セリフにはかの国の情景がにじんでいる。1959年に始まった、北朝鮮の大がかりな帰還事業たけなわの時期である。

「地上の楽園」。そんなうたい文句を信じて渡航した人は、日本人の妻も含めて84年までに9万3千人にのぼる。待っていたのは飢餓と隣り合わせの生活だ。脱北した男女5人が北朝鮮政府を相手に起こした損害賠償請求訴訟で、東京地裁は先日、訴えを退けた。勧誘から長期間が経過し、請求権が消滅したという判断だ。

当時の世論は、おしなべて帰還事業に好意的だった。サンフランシスコ条約日本国籍を失った人々が、祖国に夢を託したという背景もある。遠い昔のはずなのに、なお終わらぬ帰還事業の問題を浮かび上がらせた訴訟の何と苦いことだろう。「キューポラ」は続編も作られた。サンキチたち家族の、その後は描かれていない。