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「南昌に九里菜の花のさかりかな」とは映画監督、小津安二郎の俳句だ。南昌は中国江西省省都。1939年の春、小津は一兵士として日中戦争の前線で戦っていた。目的地まで九里、およそ35キロの行軍の道の両側は広大な菜の花畑だった。戦場にも季節の花は咲く。

同年の4月4日の巨匠の日記に、こんな記述がある。行軍の路上で民間人が事切れていた。傍らには赤ちゃんが。生きている。あどけない顔で、乾パンを握りしめていた。「赤坊が泣き出さない前に通り過ぎたい」「菜の花を背景に巧まずも映画的な構図になつてゐた」。春の牧歌的光景の中での生と死である。

過酷な従軍体験は、戦後の小津作品にどのように投影されたのか。戦場そのものは描かず、庶民の何気ない会話に当時の記憶を挿入した。「戦争はいやだったけど、時々あのときのことがふっと懐かしくなることがあるの」「あんなに親子4人がひとつになれたことなかったもの」。「彼岸花」(58年)で妻が夫に語りかける。

あの赤ちゃんはその後、どんな運命をたどったのか。ウクライナの首都近郊で、多くの民間人の犠牲が確認された。兵士・小津が目撃したように親を亡くした親子もいるかもしれない。「あの時、私たちは一つになって困難に立ち向かった」。市民が日常を取り戻し、そう述懐するのは、どの季節のことだろう。