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沖縄のシークワーサーは、きゅんとすっぱさが際立つ印象が強い。名前の由来も方言で「酸(シー)を食わせる」だというが、冬には黄色く熟し甘さを増す。今週から当地を舞台に始まった連続ドラマ「ちむどんどん」では、主人公が木からじかに緑の実をもいでかじっていた。

琉球王朝期の16〜17世紀に編まれた古歌謡集で、沖縄の万葉集とも言われる「おもろさうし」にもシークワーサーをよんだ一節がある。沖縄学の大家、外間守善氏の注釈によれば植えられた「こがねげ(黄金木=シークワーサー)」の下で神女が美しく舞うさまの歌という。琉球弧の情景を古くから彩ってきたかんきつだ。

そんな黄金木を灰にしたのが、太平洋戦争で国内唯一の地上戦となった沖縄戦だった。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の猛攻の下、県民の4人に1人が犠牲になった。終戦後も米統治下で苦難は続く。米兵の犯罪を裁く権利は沖縄側になく、住み慣れた土地は強制接収され基地へ姿を変えた。反発した住民の暴動も起きた。

来月15日、沖縄は本土復帰から50周年を迎える。かつての戦禍と占領の歴史を見つめ直す大きな節目は、図らずもウクライナでの悲惨な戦乱と二重写しになった。罪のない数多くの人々が命や暮らしを奪われる理不尽が、なぜこうも繰り返されてしまうのか。豊かな酸味でも甘みでもなく、ただ胸を刺す苦味だけがこみ上げる。