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先の連休に帰省して久しぶりにふるさとの言葉に浸った方もいるだろう。生まれ育った土地の「母語」でしか、伝えられない心の内というものは確かにある。方言に限らず、言語は自分がどこから来たのか、何者なのかをあかし確かめるアイデンティティーそのものだ。

沖縄出身の詩人山之口貘に「弾を浴びた島」という一編がある。1958年、東京から米国統治下の故郷を34年ぶりに訪ね「ガンジューイ(お元気か)とあいさつしたところ/はいおかげさまで元気ですとか言って/島の人は日本語で来たのだ」。詩人は「沖縄語」が失われかけていることに強いショックを受けたという。

ネーティブの使い手は、その後も減り続けている。ユネスコは現在、世界で2500もの言語が消滅の危機にあると警鐘を鳴らす。日本でも8方言が該当し、うち5つが沖縄、宮古などの琉球地方にある。私たちが日ごろ、日本語とひとくくり呼んでいるものは、起源も土壌も違う多様な言語の束であることを改めて思う。

63年に59歳で逝った貘は本土復帰を見ることはなかった。サンフランシスコ講和条約締結の直前、沖縄語と沖縄が日本語と日本の内に存続するよう願い「沖縄よどこへ行く」を詠んだ。「沖縄よ/傷はひどく深いと聞いているのだが(中略)/蛇皮線を忘れずに/泡盛を忘れずに/日本語の/日本に帰ってくることなのだ」