5/19

豊臣秀吉の息子、秀頼は幼名を「拾丸(ひろいまる)」といった。早世した兄は「棄て(すて)」。名前らしからぬ、と思わぬでもないが、「捨て子はよく育つ」という民間信仰が由来と聞けば合点がいく。天下人が晩年に授かった大事な跡取りである。何よりも健やかな成長を望んだに違いない。

さらにユニークなのは織田信長だ。嫡男が「奇妙丸」、九男にいたっては「人」である。現代であれば周囲が止めるかもしれない。込めた親心を知ることはできないものの、伝統や慣習にとらわれない価値観が名付けにも表れているようで興味深い。きのう新聞の記事を読みながら、戦国武将のエピソードが頭をよぎった。

光宙(ぴかちゅう)くんも海(まりん)さんも認めます。法制審議会(法相の諮問機関)がこんな方針を打ち出した。戸籍に記載する読み仮名をどこまで許すか。これから広く意見を募るそうだ。「どんな名をつけるか親の自由」「本人が学校や職場で苦労する」。ネットでは賛否かまびすしいが、国が一律線引きをするのは難しい気もする。

物理学者の江崎玲於奈さんは「獅子のごとく王者たれ」とライオンのラテン語「レオ」から付けられた名を励みにしたそうだ。それだけではない。幼少期にあちこち連れていき、刺激を与えてくれた両親への感謝を語っている。我が子の人生に思いを巡らせ、愛情を込めて育ててこそ、その名はキラキラ輝くのだろう。