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日本の刑務所のルーツをたどっていくと、江戸期の「人足寄場」に行きつく。寛政2年(1790年)に隅田川河口の石川島に置かれ、身寄りのない浮浪人らに強制労働をさせた。初代トップは長谷川平蔵、あの「鬼平」だったことは時代小説好きには言わずもがなか。

興味深いのが、運営の重点が収容者の社会復帰にあった点だ。鍛治や精米、製紙などの作業をさせて賃金を払いつつ、一部を天引きして積み立て、出所時に新生活の元手として渡した。月3回、道徳の講和も聞かせた。刑法の大家、団藤重光氏は「矯正施設としてわが国独自のもので世界に誇るべき制度」と絶賛している。

もっとも幕末の混乱期には懲罰的な重労働も課すようになり、維新後は監獄に姿を変えた。その明治以来、115年ぶりの大転換という。懲役と禁錮を「拘禁刑」として一本化する改正刑法が成立した。刑務所を出ても再び罪を犯す人が多い中、懲らしめよりも立ち直りに力を注ぐ狙いと聞く。理念やよし、あとは実効性だろう。

鬼平の寄場は幕府からの運営予算が乏しく、やりくりに苦労した。それでも場内の土地を町人に貸し出して収入の足しにするなど、工夫を重ねて成果を上げたと伝わる。昨今の刑事司法の現場も人手不足を指摘する声は多い。受刑者の再出発をこまやかに支えるには時間もお金もかかる。私たちも負けずに知恵を絞りたい。

 

刑法が115年ぶりに改正される。懲役と禁錮を「拘禁刑」として一本化する。懲罰よりも受刑者の立ち直りに力を注ぐ狙いだ。刑務所の始まりは江戸期の「人足寄場」と言われる。当時は運営の重点が受刑者の社会復帰に置かれていた。刑務作業の賃金を払いつつ、一部天引きして出所するときまで積み立てたり、道徳の講和も聴かせたりした。今回の改正も理念は間違っていない。問題は実効性だろう。受刑者の再出発に資する制度にするため知恵を絞りたい。