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先だってNHKのラジオ「子ども科学電話相談」を聞いていて、はっとするような質問に出合った。「なぜ『雨の日』を天気が悪いというのですか?」。思い込みというぜい肉で分厚く重たくなった常識の脇腹を、小さな指でつつかれたような心持ちになった。

尋ねた小学5年の児童は不思議に思った。きっと曇りのないまっさらな心と頭で。なぜ雨=天気が悪い、なのだろうと。気象予報士の誠実な答えもよかった。世の中には雨が好きな人も嫌いな人もいる。けれどもどちらかといえば都合が悪い人の方が多い。だから雨の日を「天気が悪い」と言うようになったのではないか。

この予報士はたとえ雨が降っても、めったに「天気が悪い」とは口にしないと語っていた。「雨の降る日は天気が悪い」は当たり前のことを指すたとえである。でもどしゃぶりに遭遇しても悪態をつかず「ああ!結構なおしめりだ!」と言えば、悪天候でなくなると仏哲学者アランは「幸福論」(神谷幹夫訳)に記した。

この偽善っぽさが少々鼻につく向きには、ジーン・ケリーの映画「雨に唄えば」はどうだろう。恋に落ちた男が水たまりに飛び込み、雨樋から落ちる水を浴び、ずぶ濡れになって歌い踊るシーンは、いつ見ても心踊る。あるいは北原白秋作詞の「あめふり」か。ピッチピッチ チャップチャップ…。童心に帰るのもいい。