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墨守」という言葉に、もともと否定的な意味はなかったらしい。古代中国の思想家、墨子が楚の攻撃から宋の城を守り抜いたことにちなみ、守備がとても固いことを指していた。それがいつの間にか、旧習にこだわるばかりで融通がきかない様子を言うようになった。

日本の新型コロナウイルス対策は、この成句の2つの意味を併せ持っていよう。当初は欧米などに比べて社会をよく守り、被害はずいぶん少なく推移した。しかし中盤以降はどうか。ワクチン接種が進み、敵がオミクロン型に変わっても旧態依然である。コロナを特別な病気として扱う仕組みが一向に改まらない。

そうこうしているうちに、第7波が襲ってきた。どこまで続くぬかるみぞ…の気分だが、変化の芽はみえる。政府の分科会は先日の提言で、コロナを「一疾病」として日常の医療体制の中に位置づける方向も示した。結核などと同じ2類相当から、季節性インフルエンザ並みの5類へ。転換の道は開けるだろうか。

きのうの全国の新規感染者数は10万人超。やはり身構えてしまうが、ここは冷静に「ウィズコロナ」を探りたいものだ。長すぎる緊張は形式主義に流れる。飲食店の汚れたアクリル板などは、その象徴ではないか。そういえば、墨子いわく「弓張って弛めざるがごとし」。張りっぱなしでは、せっかくの弓も役に立たなくなる。

 

コロナの第7波が襲ってきつつある。日本は未だにコロナを特別な病気として扱う仕組みが改まらない。ようやく政府分科会は先日の提言で、コロナを「一疾病」として扱い日常の医療体制のなかに位置づける方向性を示した。結核と同じ2類相当から季節性インフルエンザ並みの5類へ。転換の道は開けるだろうか。長すぎる緊張は形式主義に流れる。飲食店の汚れたアクリル板などは、その象徴だろう。弓は張りっぱなしでは役に立たないのだ。