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「悪党の一味」などと使われる一味とは中世の古い儀式が由来という。一味神水一揆や戦におもむく人々が、神前にそろって水を飲む。そうやって結束を誓った。「同じ釜の飯を食う」のも、同じ場所でともに「一味」を味わいきずなを深める行いだ。

原田信男著「『共食』の社会史」に教えられた。こうした飲食は、現代の社会でも盛んだ。おととい芥川賞受賞が決まった高瀬隼子さんの小説「おいしいごはんが食べられますように」に出てくる会社もそうだろうか。上司の口ぐせは「飯はみんなで食った方がうまい」。なかば強引に部下を昼飯に引き連れるのである。

弁当持参の人だっているのに。その様子を冷めた目で眺める主人公は、カップ麺が常食の若者だ。そのほか仕事はほどほどに手作りスイーツを配って回る女性社員、余計な小言を言わずにはいられない年配のパートさんら、どの職場でもいそうな面々が登場。食を通して、食や人生に対する思いのズレがあらわになる。

年代も価値観も違う人間だ。イライラもするだろう。会社員でもある高瀬さんは、こんな考えもあるんだな、と受け止めて、と話す。一味はやがて悪意の集団を指すようになったと辞書にある。コロナ禍を経て、あえて飲酒しないソーバーキュリアスなる生活様式も生まれた。一味よりも多様な味。そんな時代になった。

 

おととい芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの小説「おいしいごはんが食べられますように」では、食を通して仕事や人生に対する思いのズレがあらわになる。舞台はとある会社だ。主人公はカップ麺が常食で皆を昼飯に引き連れる上司を冷めた目で眺める。さらに仕事はほどほどに手作りスイーツを配って回る女性社員、余計な小言を言わずにいられない年配のパートさん。どの職場でもいそうな面々だ。コロナ禍を経て、あえて飲酒しないソーバーキュリアスなる生活様式も生まれた。食事も多様化しているのだ。