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服喪は強制できない。しかし追悼ムードは高めたい。1967年の吉田茂元首相の国葬の経緯を政府がまとめた「国葬儀記録」には、国の模索が表れている。企業に早退を認めるよう促し、テレビやラジオにも協力を求める。あくまで自主的な対応を「お願い」する形だ。

政府が国民向けに出した声明も「省庁は歌舞音曲を控えるので、皆さんもそれに準じた行動を」などとお願いする内容だった。当日はどうだったか。見送る人波が沿道を埋めた一方で「繁華街などでは鳴るはずの弔鐘が鳴らず、無関心の人もいた」と本紙は伝えている。世間が一色に染めぬかれたわけではないのだろう。

安倍晋三元首相の国葬閣議決定された。9年近い最長政権とは、例えば20歳の若者には物心ついて大半の時間が「安倍首相」だったということだ。外交面の存在感や銃撃の衝撃も考えれば、国葬という形が妥当だと考える人も多いだろう。同時に多様性の時代、悼み方は人それぞれ、思い思いにゆだねてよかろう。

吉田氏のころには想像もつかなかったSNSの広がりもあり、ふとした契機に同調を求める風潮はかなり加圧されているようにみえる。コロナ禍でわき出た自粛警察を思い出す。意見を強硬に押し通すだけでなく、異なる考え方同士で譲歩し合うことが思想信条の自由の礎になる。新たな分断は、安倍氏本人も望むまい。