10/2

1976年6月26日、日本中がテレビにくぎづけになった。アントニオ猪木さんとモハメド・アリさんの一戦だ。瞬間視聴率50%を超えたこの試合は、猪木さんがマットに寝転ぶ場面ばかり目立って終了。プロレス誌に「ファンの不満だけが残る」と酷評された。

映像を見直すと、印象は変わる。猪木さんが相手の足を蹴り、「バシっ」と鋭い音が響く。アリさんが表情をゆがめて、ロープへ逃げる。だが当時、猪木さんは「世間は私を笑いものにしている」と落ち込んだという(「アントニオ猪木自伝」)。団体は経営危機に陥り、負債を返済するため異種格闘技路線へと進んだ。

強烈な個性にはいくつかの原点があった。中学生のときブラジルに渡り、農場で過酷な労働を体験した。師である力道山さんからは理不尽な暴力を受けつつ、プロモーターとしてのセンスを学んだ。そしてジャイアント馬場さんへの対抗心。活力はプロレスの枠に収まらず、「国会に卍固め」と訴えて政界にも打って出た。

猪木さんが旅立った。多くのファンが名勝負を数え上げながら、「燃える闘魂」の思い出話に花を咲かせていることだろう。その一つ一つがエネルギーを与えてくれた。最近も病気と闘う様子をSNSで明るく発信し、見るものを勇気づけた。「元気ですかーっ」。聞かれたらいつも「もちろん」と返せるようでありたい。