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季節はちょうど今ごろだろう。志賀直哉の「小僧の神様」は、神田の秤屋の番頭がすし談義をかわす場面から始まる。「そろそろお前の好きな鮪の脂身が食べられる頃だネ」「あの家の食っちゃア、この辺のは食えないからネ」。そう、トロは秋の味覚だったらしい。

江戸の風情を感じさせる名作とは打ってかわり、こちらはすしをめぐる物語だが産業スパイ小説風だ。回転ずし店「かっぱ寿司」を全国展開する会社の社長が、同業他社から転職するさいに仕入れに関するデータを不正に持ち出したとして、警視庁に逮捕された。企業が保有する「営業秘密」を侵害したという容疑だ。

不正競争防止法が定める「営業秘密」は要件が厳密である。「秘密管理性」「有用性」「非公知性」の3つを満たす場合に限るという。社長が古巣から持ち出したとされる情報がこれにあたるとすれば、仕入れデータといっても経営の根幹に関わる内容だったに違いない。コンプライアンス以前の、なんという常識の欠如か。

小僧の神様」には、番頭のグルメ自慢を聞いた少年店員が屋台のすしをつまみ、値を知って手を引っ込めるくだりがある。懐は寂し、すしは食べたし…。こういう悲しい思いをしなくてもすむ回転ずしは、現代日本の立派な発明である。なのにこれでは、せっかくのトロものどにつかえよう。粋にやってほしいものである。