10/4

「余はこの類の事に不賛成にてその催もなさざりしが」。原敬が残した膨大な日記にこんな記述がある。日付は1919年9月29日。この日首相に就いて1年を迎えた。「記念の祝宴を開いてはどうか」と勧める意見があったらしい。「不賛成」の理由は書いていない。

コメをはじめとする物価高騰が庶民の生活を直撃していた。さらに第1次世界大戦の戦後処理やシベリア出兵、と外交面でも気が抜けない。スペイン風邪が猛威をふるい、本人も感染したとされる。性格的なことだけではなく、「それどころではない」という思いもあったのだろうか。記述はすぐに目先の政局に移っている。

国民の声を記す「岸田ノート」なるものに、自身の心境まで書きとめているかは存じ上げない。ただ来し方を振り返り、決して晴れやかな気分ではなかろうと推察する。きょうで就任1年。内憂外患、支持率低下。前日の所信表明では「厳しい声にも、真摯に、謙虚に、丁寧に向き合っていくことを誓う」と神妙だった。

「平民宰相」と期待された原だったが社会保障政策への不満などから国民人気は決して高くなかった。一方、政党政治の道を切り開いた手腕は歴史的に評価される。「『決めること』を厭わずに、批判と称賛を浴びてきた政治家」(清水唯一朗著「原敬」)。この言葉、1世紀を経て国政を担う後輩の耳には、どう響くだろう。