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スーパーに銀杏(ぎんなん)が出回るようになった。週末にふらりと訪れた郊外の寺でも、参道の露店で袋詰めの実が銀白色に光っていた。街路樹になっている歩道では、落ちて潰れた実が足元で存在感を放つ。キンモクセイとかわるがわる鼻に届く、これも秋の便りの一つだろう。

子供のころ、親がつまみにと近所でよく拾ってきていた。漂うかおりに鼻をつまんで逃げ回ったのを思い出す。作家の円地文子さんは随筆に、台風で枝ごと吹きちぎられたあとの濃密な匂いの印象を記している。「食膳の茶碗(ちゃわん)蒸しにぎんなんが入っていても、ふとそのあらしの翌朝のことを思い出すのである」(「銀杏」)

この時分、季節の歩みは時に驚くほど速い。きのうは冷たい雨が、わずかに残る夏の余熱をざっと洗い流した。都心では前夜は熱帯夜に近いほどだったのに、昼すぎには20度を割り込んだ。重ね着して家を出る人が目立ってくれば、イチョウもだんだんと黄色く染まる。気づけば今年ももう、第4コーナーにさしかかった。

代表質問が始まった国会も、年末のゴールに向け論戦が本格化する。台湾有事の懸念に北朝鮮の度重なる狼藉(ろうぜき)が加わり、さて防衛費はどうあるべきか。積み残した旧統一教会問題も、匂うものに蓋とはよもやいくまい。むしろ銀杏のあの堅い殻をパキンと割り抜くくらいの意気込みで、首相は議論に臨んではいかがだろう。