10/27 泥縄の質問権行使

「泥縄」という言葉はいつ生まれたのだろう。泥棒をとらえて縄をなう。ことが起こってから慌てて対策を練るお粗末さを言い表して、かくも的確な表現はない。戦前期の国民文学だった中里介山の「大菩薩峠」には、片仮名で書く「ドロナワ」もすでに登場している。

それほど世に満ちる泥縄式だが、こんどは格別に慌ただしい。世界平和統一連合(旧統一教会)に対する、宗教法人法の「質問権」の行使の基準を話し合う文化庁の専門家会議がスタートした。来月上旬の2回目の会合で原案を示し、年内にも調査を始めるという。政権の号令一下、縄をなう委員の先生方も大変である。

調査に踏み切っても、その先は相当な難路だろう。岸田首相は解散命令を裁判所に請求する要件に「民法不法行為は入らない」と述べながら、一夜にしてひっくり返した。教団への厳しい対応は当然だが、こんな不安定な答弁を土台に据えたのでは心もとない。文化庁の体制も貧弱で、急きょ助っ人を集めているそうだ。

教団は2015年に、この役所の認証を得て名称変更を果たした。これがマイナスイメージを隠すのに寄与したとすれば、いまは縄をなうのに大あらわな文化庁が、かつては縄を緩める役回りだったことになる。教団をめぐり、たまりにたまった膿(うみ)を出す絶好の機会だ。泥縄ついでに、こちらも洗いざらい調べた方がいい。