12/10 副詞の意味

ヘミングウェイは副詞を嫌ったという。「日はまた昇る」「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」…。どの作品も修飾語の少ないシンプルな文体だ。しばしば指摘されるその特徴を「数字が明かす小説の秘密」(ベン・ブラット著、坪野圭介訳)なる本が分析している。

「〜ly」で終わる副詞の分量を調べてみたところ、1万語につき80語しかなかった。この傾向はフォークナーの「八月の光」やスタインベックの「怒りの葡萄」にも共通するそうだ。「副詞が減れば減るほど『良い』作品だと著者は言う。とすれば、宗教団体などへの寄付をめぐる被害者救済法案はどんな出来だろう。

きょう成立する新法には、法人などが勧誘するさいの配慮義務について、与野党協議で「十分に」という副詞が加わった。ただ「配慮する」ではなく「十分に配慮する」。法文だから「十分に」は十分に重いのか、たんなる言葉のアヤか。そもそも定義しにくい行為を、何とか条文化したのがこの「作品」である。

問題はずっと昔から存在していた。なのにそれを見過ごしてきたがゆえの難路だろう。かくなるうえは、新法をきっかけに本質的な議論を始めたい。かの「老人と海」にこんな言葉がある。「いまは持ってこなかったもののことなんか考えているときじゃない。ここにあるものでできることを考えるがいい」。(福田恆存訳)。