12/27 鳥インフルエンザ

昭和から平成にかけての俳人、上田五千石さんに「渡り鳥みるみるわれの小さくなり」という句がある。空を飛んでいく鳥を仰ぎ見る。するといつしか上空からの視点に転じ、ちっぽけな存在でしかない自分を意識する。広大な自然を前にした人の謙虚さが余韻に漂う。

渡り鳥は秋の季語だ。冬の寒さが日ごとにつのる中、そんな鳥たちが運んできたもので養鶏場が大混乱している。高病原性鳥インフルエンザだ。感染がわかった農場の鳥は殺処分される。ひな鳥の感染が疑われた農場をかつて取材したとき「涙があふれ出た」と話していた。いま各地の養鶏場を覆う戸惑いと悲嘆に胸が痛む。

スーパーの棚に並ぶ卵などを生む鶏を「コマーシャル鶏」という。農家の商売になるからという意味らしい。その親からたどっていくと、もとは多くは外国種。エサも海外からたくさん買っている。何気なく食べている卵も、グローバルなお金とモノの移動の輪の中にある。だから円安になると、鶏を買うのが大変になる。

海の向こうからやってきた鳥インフルが、そんな苦境に追い打ちをかけた。新型コロナの抑えこみにも、私たちはなお手を焼いている。ウイルスもまた自然の一部。鳥が飛ぶ高さから見下ろせば、人はいかにも小さくて非力かもしれない。そう自覚することから出発し、よりよい手を打つ。コロナの3年で得た教訓だろう。