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・今昔物語のウサギの説話

・力の行使や誇示による利己的試みの結末は歴史が示す通りだ。

童謡では、木の根につまづいたり、のろまなカメに後れをとったりする今年のえと、ウサギ。しかし、仏教の説話では、ひときわ気高い存在として輝きを放つ。教えの守護者帝釈天が老人に姿を変え、獣らを試した話として古典「今昔物語」が伝えている。

疲れ果て、飢えた老人が修行中のウサギ、キツネ、サルの前に現れ「養ってほしい」と頼む。サルは木の実を、キツネは他人の墓の供え物を差し出すのだが、ウサギは何も得られなかった。そこで、火をたき待っているように告げ、再び手ぶらで戻ってくるなり、その中に踊り入り、我が身を老人にささげたのである。

老人は帝釈天の身に戻り、全ての生き物に見せるためウサギの姿を月に移した、と話は結ばれる。究極の慈悲と利他の行い、凡夫の身に引き寄せ考えるのは難しい。だが、私たちの日常も誰かの善行といくばくかの犠牲の連なる上に成り立つと思えば、物語への親近感も増そう。波穏やかな世界を実現するカギとも思える。

年末年始も北朝鮮がミサイルを放ち、ウクライナではロシア軍の無人機がインフラを狙った。中国も偵察機での威圧をやめない。力の行使や誇示で、現状を変えようとする利己的試みの結末は歴史が教える通りだ。世界を戦争の淵へ落とさぬよう、身を捨て臨む覚悟はないか。月のウサギが見下ろしている。