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小正月の風習は予祝のような性格を持つ。

・今のニッポンも予祝に頼りたくなるような大きな変化の中にいる。

・過去の検証やデータに基づいた分析こそが現代の予祝だ。

 

松の内も過ぎ、鏡開きも終え、きょう15日は「小正月」と呼ばれる。14日から16日を指す地域もあるようだ。ものの本によれば、元日の前後の行事は儀礼的性格が強い一方、小正月には、その年の田畑の出来を占ったり、豊作を願ったりするものが数多く伝わっている。

子どもらが歌いながら棒やささらで地面をたたき作物への害獣を遠ざける「鳥追い」や「もぐら打ち」。松飾りを田や海岸で盛大に燃やす火祭りの「どんど焼き」は各地で今も行われる。町や村が二手に分かれて大綱引きをする地方もあるようだ。木の枝に繭の形の餅をぶら下げて飾り物を神棚に納めるところも残る。

「予祝」という言葉がある。「こうなってほしい」との願う将来をあらかじめ祝い、その実現を念じるとの意味らしい。小正月の風習は程度の差こそあれ、そんな性格を持つという。思うようにはならない自然を相手にしてきた先人たちの苦労がしのばれる。今のニッポンも何らかの予祝に頼りたい大きな変化の中にいるようだ。

コロナ禍は収束が見えず、久しく経験しなかった物価高に、想定を超えた少子化が重なる。待ったなしの課題に、防衛やエネルギーの政策も転機を迎え、先行きに漠たる不安が漂う。過去の検証、データに基づいた見通しの共有こそが近未来へと希望をつなぐ、現代の予祝にちがいない。豊かな実りの1年となるだろうか。