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二葉亭四迷なるペンネームの由来としてよく知られた話がある。この明治の文人は若いころ、父親に不孝をひどくなじられた。浴びせかけられた言葉が「くたばってしまえ」。それをもじって雅号をひねり出したそうだ。なかなか強烈な父と子であったらしい。

「〜してしまう」という言葉には後戻り不能のニュアンスが漂う。広辞苑によれば「もはやどうにもならない、とりかえしのつかないことになるの意」。先日の国会で、岸田首相は夫婦別姓同性婚について「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題」と指摘した。言葉尻と言うなかれ。じつは踏み込んだ否定だろう。

いったん導入したら「とりかえしのつかないことになる」。そうした含みを感じ取り、秘書官も「隣に住んでいたら嫌だ」とエスカレートしたのかもしれない。さすがに即刻更迭になったが、こうした暴言が飛び出す背景もまた深刻である。多様性うんぬんは口先ばかり。永田町や霞ヶ関には「しまう」が満ちていよう。

思えば四半世紀あまり昔、選択的夫婦別姓をめぐり法制審議会は実現に向けた答申を出した。しかし政治が動かぬうち、欧米などでは家族のかたちは激変し、同性婚を認める国も増えた。日本は周回遅れだ。それから迷い続けて三迷、四迷、五迷。迷っているならまだいいが、ただ頑迷なら世界から取り残される。