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和歌山沖で1890年、オスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥールル号が遭難した。日本側の懸命の救助が両国の友好を深めたことは双方の教科書にも載る。一方、犠牲者を悼み「何かできることはないか」と考え、義援金をかき集めたのが実業家の山田寅次郎だ。

当時まだ20代半ば。事故後あちこちで追悼演説会を催し寄付を募った。現在の額で1億円もの金を集めると、国交もなかった彼(か)の国へ持参する。皇帝に歓迎され現地に滞在し、日本語を教え、日本の工芸品を紹介した(山田寅次郎研究会編「山田寅次郎宗有」)。今に続くトルコの親日感情を培った立役者の一人とされる。

そんな草の根の絆が息づく土地を、突然の災厄が襲った。トルコ南部を震源とする巨大地震で、多くの死傷者が出ている。おさなごの亡きがらに覆いかぶさって慟哭(どうこく)する親の姿に胸がつぶれる。日本も救援隊を急派した。厳冬下での救助は時間との勝負になろう。シリアとともに何とか多くの命を救えるよう祈るばかりだ。

「閃々(せんせん)七色の光彩を放散し、其(その)美観壮観、真に天上の楽土もかくやあらん」。寅次郎はトルコの街並みの壮麗さを感激の筆致で書き残している。人が築き上げるそんな文化の結晶を、自然は時に残酷に破壊する。だが危機を前に支え合う友情は、建物や街路のようには簡単に崩れまい。この悲劇に寄り添う支援を続けたい。