3/27 死の実像

少し上目づかいにこちらをじっと見つめる。どこか頼りない、切ないまなざしに心臓をわしづかみにされた。東京の多摩動物公園で暮らすタスマニアデビルだ。寿命といわれる6歳になり足元もおぼつかないが、現役で来園者を迎える。先日、日経新聞夕刊で読んだ。

職員の言葉が胸に響く。「体を動かせるうちは普段の生活をさせてあげたい」。あえて弱々しい姿を見せることで「命の尊さを感じてほしい」とも。私たちはつい動物の活気あふれる若さの盛りに目を奪われる。しかし、枯れ衰え永遠にまぶたを閉じるまでの全てが生命という存在なのだ、と1枚の写真が語っていた。

思えば、日本は世界でも抜きん出た高齢社会である。にもかかわらず、老いやその先にある死の実像に触れる機会は少ない。介護や看取りは家族でという時代は去って久しい。そこに戻すのが最善でもないだろう。けれど、知らぬがゆえにただ醜い、つらいことと蓋をして遠ざけていては、大事な生の意味を忘れてしまう。

ノンフィクション作家の佐々涼子さんは、在宅医療の力を借りて終末期を過ごす人に寄り添い、著作「エンド・オブ・ライフ」にいくつもの物語を描いた。それぞれに命の閉じ方があり送る側の葛藤がある。そして気づく。「亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いてゆくのだ」と。