6/29 鉄道で思いを馳せる

2月に亡くなった松本零士さんは18歳のとき、ふるさと小倉から東京行きの夜行列車に乗った。かき集めた全財産は700円。ゆで卵を3つ買い、1つだけ食べた。車窓越しに人家の明かりや星を眺めながら家族の顔を思い浮かべ、漫画家として身を立てる覚悟を決めた。

見ず知らずの乗客から酒をごちそうにもなった。「この汽車に乗らなければ銀河鉄道999は絶対に生まれていません」。後になってこう振り返るほど濃密な経験だったようだ。ゴトゴトと揺れに身を任せ、自分自身の内面とじっくり向き合う。なんとも贅沢(ぜいたく)である。こんな時間を過ごせるのも鉄道の魅力の一つであろう。

おととし、小田急線と京王線で起きた無差別襲撃事件の裁判が相次いで始まった。初公判で明らかになったのはあまりに独善的な動機だ。職場で処分を受けた。幸せそうなカップルが許せなかった……。だれもが感じそうなつまずきやいら立ちがなぜ、凶行につながったのか。電車内で家族の顔は思い浮かばなかったのか。

山手線車内では先日、料理人が所持していた刃物を見た乗客が避難する騒ぎがあった。周囲への疑心に覆われた社会はなんとも居心地が悪い。防犯カメラがどれほど増えても、人の内面まで映すことはできない。心の闇を殺意に転化させぬための手立てを考え続けねばなるまい。はたして法廷でヒントは見つかるだろうか。