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16〜17世紀のヨーロッパではチーズやバターがうまくできずに腐ると、魔女の呪いだといわれた。農作物が不作なのも、雌牛の乳が出なくなるのも、疫病がはやるのも魔女のせい。そんな迷妄が社会不安を背景に異端狩りの嵐となって吹き荒れる。多くの命が奪われた。

今から160年前、スープが腐って悪臭を放つのは微生物の仕業だと、かのパスツールが発見し、呪いは消えた。植物や家畜が病気になる原因も科学が次々と解明する。無実の人が火あぶりにされる心配はなくなった。でも理不尽な現実を突きつけられたとき、誰かのせいにしたくなる人情は、私たちの中に変わらずある。

その現代版が「自己責任論」ではないだろうか。正社員になれないのは努力不足だから。コロナにかかるなんてちゃんと予防していなかったに違いない。土砂崩れが起きるような危ない場所に住むのは情報収集を怠っている。詐欺にあうとは騙される方も悪い、等々。あらゆる不運を当事者の責任とみなす空気が漂う。

努力と意欲さえあれば何でも解決できる。そんな論法には当世風の呪いの気配がある。社会学者の山田昌弘氏は近著「新型格差社会」で、公的な問題を自己責任の一言で片付ける風潮を「想像力の欠如以外の何ものでもない」と指摘する。適切な「再分配」を目指すなら、人々を困窮させる「真犯人」を突き止めることだ。