3/8 空襲の恐怖

太平洋戦争で日本本土への空襲が初めてあったのは1942年4月のこと。洋上の空母から発進した十数の爆撃機が東京、横浜などを狙ったという。緒戦勝利の余韻にひたる日本の軍部は衝撃を受けたと伝わる。本格化するのは45年、終戦の年に入ってからだ。

陥落したマリアナ諸島から時に数百機が編隊で飛来し、発火性の薬剤を詰めた爆弾が連日のように降り注いだ。被災は200超の都市に及んでいる。軍事施設の破壊だけでなく、市街地も狙った爆撃で数十万人が犠牲になったとされる。日立や浜松といった工業都市は沿岸に迫った米艦隊に直接攻撃を受けたという。

記録に残る一連の惨事から77年。ウクライナの街並みが、砲弾や空爆で崩れ落ちているさまに、胸をえぐられる。私たちが親や祖父母らから聞かされ、映画、アニメで知った往時の恐怖を、いま現に体験している人たちが、世界の片隅で震えているわけである。ロシア軍は学校、病院、住宅地に対象を広げたと聞く。

戦意を喪失させ、侵攻しやすくする策略に怒りを覚える。21世紀に隣国を非人道的な手法でじゅうりんする指導者に、何か大義を語る資格があろうか。10日が東京、13日大阪、17日神戸、19日名古屋。無差別の空襲の惨禍を思い起こす日がくる。「即刻、軍を引け」。叫べども、クレムリン奥の院に届かないのが切ない。